新規分子診断器械の提案、及びシスメックス社による創製

 現時点において実用化されている癌の診断は、殆どが形態学的診断である。この診断法が果たしてきたところは大きいが、鑑別診断においても万全でなく、予後診断、薬剤感受性においては大きな限界がある。そこで、以下のような分子診断機器を提案し、幸いシスメックス社という進取の気性に富み、かつ優秀な企業の多大なる努力のおかげで、微量の生検材料から全自動で分子診断を行える画期的な機器の原型を作成できた。早速、本学の消化器外科の山岸久一教授らの協力を得て、大腸癌、胃癌、食道癌において癌部と隣接する正常粘膜組織を用いて比較を行ったところ、約8割の症例の癌部において癌抑制遺伝子 RB蛋白を失活させる CDK2 活性が高いという結果が得られ、CDK活性及び蛋白発現量をプロファイルすることでヒトにおいて癌部と正常部が区別可能であることを既に見いだし報告したので(Ishihara et. al.)、以下にその具体的な研究背景と実際の成果を以下に記す。

 代表的な癌抑制遺伝子の産物であるRB蛋白の機能(細胞増殖抑制能)が失活することがヒト発癌機構において最も普遍的かつ重要な要因であることが判明しているが、その失活とはRB蛋白がサイクリン依存性リン酸化酵素(CDK)によってリン酸化を受けることである。このリン酸化にはサイクリン及びCDK、そして CDK 活性を阻害する CDK阻害因子などの多くの因子が関与することと、もう一つの代表的な癌抑制遺伝子である
p53 による細胞増殖抑制能もこの RBのリン酸化の阻害によることが明らかとなっている。

 従来の癌の分子診断では、免疫組織化学を用いて蛋白の発現量をおおまかに測定することがほとんどであったが、翻訳や翻訳後修飾、他の因子との相互作用を考慮すると癌の分子診断を行う際にはこの RB をリン酸化する CDKの活性を測定することが最も本質的であると考えられる。実験室レベルでの培養細胞に対する活性測定に比べて格段に困難な臨床検体に対する測定であり、かつ
RI を使用しない CDK測定方法及び測定装置を私達は上述の診断機器メーカーであるシスメックス社http://www.sysmex.co.jp/)と共同で開発した。またこの装置では p53-RB経路の活性化及び不活性化に関与する因子(現在20種類)の蛋白発現量の同時測定が可能である。この蛋白量の測定も、今回の装置において、シスメックス社が開発したCPDIB法という、従来よりも簡便かつ短時間に定量できる方法が使用できるようになった点は、臨床的にたいへん画期的なことである。しかもこの方法は1 mm角程度の少量の生検サンプルを用いて、全項目を診断できる点が刮目に値する。現在はこのp53-RB経路に関係した遺伝子産物の定量システムが完成しているが、抗体を変えるだけで、どのような蛋白定量でも可能なので、今後臨床の場で多大な発展が期待できる。

 前述のように、CDK活性及び蛋白発現量をプロファイルすることでヒトにおいて癌部と正常部が区別可能であることを、我々は見いだしていたが、更に、最近では、この装置を用いることにより得られるプロファイルデータを基に抗癌剤の感受性予測や予後予測に関する研究が米国M.D. Anderson Cancer Centerや我が国でも実施されており、その成果は、この分子診断器械の持つ可能性と将来性の高さを示すものであった。以下にその成果を記す。

大阪大学・野口眞三郎教授(乳腺内分泌外科)らの研究グループにより、乳癌患者の予後予測因子として、この診断器械を用いた臨床検体に対する測定の結果、予後不良の患者群ではCDK1活性、CDK2活性が上昇しており、その結果、CDK1活性、CDK2活性の測定が乳癌患者の予後予測因子として、統計的にも有用であることが明らかにされた(Kim SJ et al.)。

M.D. Anderson Cancer Center・上野直人准教授(Stem Cell Transplantation & Cellular Therapy)らの研究グループにより、抗癌剤paclitaxelの感受性には、CDK1活性、CDK2活性が関与していることを明らかにされ(Takahasi T et al.)、更に分子標的抗癌剤(EGFRK阻害剤)erlotinibの感受性にはCDK2活性が関与していることが明らかにされている(Yamasaki F et al.)。

 このような臨床研究や基礎研究おける成果を元に、現在は、臨床試験の拡大、測定項目の充実などにより、分子診断機器としての承認を目指し、将来の癌の臨床研究や臨床現場において予後の予測や抗癌剤の感受性診断に広く用いられることで、癌の征圧を目指す強力な装置になるであろうことを期待している。

(参考文献)

Ishihara H., Yoshida T, Kawasaki Y, Kobayashi H, Yamasaki M, Nakayama S, Miki E, Shohmi K, Matsushima T, Tada S, Torikoshi Y, Morita M, Tamura S, Hino Y, Kamiyama J, Sowa Y, Tsuchihashi Y, Yamagishi H and Sakai T. A new cancer diagnostic system based on a CDK profiling technology. Biochim Biophys Acta. 2005, 1741(3): 226-33.

Kim SJ, Nakayama S, Miyoshi Y, Taguchi T, Tamaki Y, Matsushima T, Torikoshi Y, Tanaka S, Yoshida T, Ishihara H and Noguchi S.
Determination of the specific activity of CDK1 and CDK2 as a novel prognostic indicator for early breast cancer. Ann Oncol. 2008, 19(1): 68-72./P>

Takahashi T, Yamasaki F, Sudo T, Itamochi H, Adachi S, Tamamori-Adachi M and Ueno NT. Cyclin A-associated kinase activity is needed for paclitaxel sensitivity. Mol Cancer Ther. 2005, 4(7): 1039-46.

Yamasaki F, Zhang D, Bartholomeusz C, Sudo T, Hortobagyi GN, Kurisu K and Ueno NT. Sensitivity of breast cancer cells to erlotinib depends on cyclin dependent kinase 2 activity. Mol Cancer Ther. 2007 6(8): 2168-77.